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2022年01月11日

新年会記録2 大天幕を立てろ

現地にて荷下ろし、緑色の荷物を示された位置に運び、梱包を解くと幕体が現れた。
ピラミダルと言われている大天幕である。
イタリアンフロント1944の際、俺はこの大天幕を視界の隅に捉えていたものの、統裁部に使用された為に立ち入りはしなかった。それをこの場で再び、目の当たりにしたのだ。
入り口を正面に向け、幕体の位置を決めた。その四角形の対角線上に杭を打ち、杭に張り綱をかけ、その綱を最大限に緩めた。
いくつかの綱は朽ちていたものを、BCo代表が新たなものに交換した。
代表は満足そうな表情を浮かべ、分隊長にアイコンタクトを送った。分隊長は頷いた、まるで捕手と投手のやり取りを見ているようだった。次の瞬間、分隊長はこう言った。
「大天幕を立てろ。」
すでに他のメンバーの方々が、中央の支柱を連結させていた。Pfcの先輩方が着々と作業を進めているのに、Pvtの俺が遅れを取ってはならない。俺は支柱の先端部を握り、幕体を踏まない様、入口の切れ目から中に進入し、屋根頂部の金具に支柱を嵌め、さらにフードを嵌めた。
数人がかりで、中央の支柱を立てる。立った後、俺ともう1人のメンバーで支柱を支えて、他のメンバーは退出し、入口を閉塞した後に四隅の支柱を立てる。その後、四隅の張り綱を緊張する。
入口が閉じられ、外部の様子が分からないので、頃合いを見て声をかけ、四隅の張り綱調整が終わったことを確認。支柱を支えていたもう1人の方に退出するように伝えた。
本来なら俺も退出して良かったんだろうが、今回は人数も多いので、側面の張り綱設営が終わるまで念のため中に待機し支柱に注意を払う様に指示を受けた。
続いて烹炊場の天幕の設営。スモールウォールと呼ばれるタイプで、横梁両端に支柱を刺した状態で寝かせてあった物を、俺と他のメンバーの2人でタイミングを合わせて直立、メインの支柱を支えている間に、他の方々が脇の支柱や張り綱の作業を完了させた。
ストーブやフィールドレンジ、コットなどの搬入の後、徒手教練を実施。
その間、代表が昼食の準備をした。
昼食はコーヒーと、パンに粒状マスタードを塗ったものであった。パンに何か挟んであったような気もするし、副食がもう一品あった気もするが記憶が曖昧だ。コーヒーで身体が温もりまんな。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 19:52Comments(0)

2022年01月11日

新年会記録1 プロローグ



二日間に渡り実施された、BCo管理野営及び基礎訓練イベント、通称新年会に参加した。
私がイベントに参加する際の確認事項は3点ある。
1公募されており自身が参加する事が可能か。
2イベントレギュレーションがきちんと明示されているか。それに対して自身が対応することが出来るか。
3イベント内容が明示されているか。さらに言えば過去の実績が公表されており、それを理解することで、参加したいイベントの内容を予測することができるか。

1について、今回の新年会は公募されていなかった。ある程度の人数参加が見込まれており、かつ場所的な制約から人数制限の必要があったからだと推測する。
私は主催のBCo代表からのラインを受信することで、新年会を実施することを知った。
イタリアンフロント1944に独軍として参加した私は、対抗戦の相手であったBCoに強い興味を持ち、その活動に参加する機会を窺っていた。
新年会の一ヶ月前に開催された露営会にBCo前代表が参加し、B Coとしての活動を展開するという情報をSNSで入手し、これに参加した。やる気を発言だけでなく行動で示した事が功を奏し、新年会の情報を入手できたと言える。

2について、レギュレーションが不明瞭だと参加しづらい。自分の手持ちのものでは対応できないと判断して参加を取りやめたイベントの写真を後で見ると、充分対応できたじゃないかと思った事例もある。今回は代表からのラインを解読し、不足分は買い足した。
基本の被服に弾帯および腰回り装備、背嚢、食器、スコップ、雨衣、天幕、毛布は前回のもので対応できる。
防寒具としてアウター(ウールオーバーかウインターコンバットジャケットトラウザー)も準備。
バンダリアについては、中身のインサートやクリップを新たに購入した。

3については、B Co代表の広報ブログを読んで、過去の活動を知り、今回の活動を想定した。
世にあるイベントレポートの複数は細部の記述がなされず、判断ができないものが多い。写真だけアップしてあれども、再現の一コマを切り取ったものか、撮影のためのポーズなのか、事実が伏せてあると判断に苦しむ。
再現活動を行なったと記述があっても、全て完璧な再現は不能であると思うので、どの部分を妥協、省略、想定での対応としたかのエビデンスが無いと、レポート自体の信憑性に欠け、判断の根拠に出来ないことがある。
例えば「天幕野営」とのみあれば、当時の天幕での野営を再現したものか、情景としての再現を行い実際の宿泊や運用は当時に拠らない方法で行なったのか、天幕含め宿泊は再現ではなく完全に現代のもので行われたのか、意図的に記述が無いとわからない。

新年会は、簡易な教練動作や戦闘行動の理解を目的とした実地教育、大天幕での管理野営、中隊からの配食を想定した食事の支給(食事自体の再現はするが、実際のキッチン班?KPの編成までは再現せず、ただし当時に準じた調理器具を使用して担当者が調理を行う)ということが、レギュレーションや過去の記録を読んで判断できた。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 12:57Comments(0)

2022年01月01日

初夢企画 もしもこんなチキンヘカ専門店があったら



京阪線某駅を出て、線路に沿い歩いて徒歩五分余り。何の変哲もない普通の住宅街に、チキンヘカ専門店「モンテカッシーノ」がある。のれんに、牛の頭蓋骨のマークが書いてあるだけで、チキンヘカとか鶏すき焼きとか書いていない。知らなければ入りづらい店だ。
ええいままよ、と暖簾をくぐり入店した。
席に座ったが、メニューはない。何も言わないのに、まるで飲み屋でお通しを出すように、チキンヘカがスッと出てきた。そして聞かれるのはライスのサイズだけだ。このライスがまた美味い。カウンター越しから見ていると、フィールドレンジで炊いていることがわかる。
あとからわかったがイタリアから取り寄せたリゾット米を使っているというこだわりの逸品だ。
一方、鶏や玉子やタマネギは、北大阪某市の農家で生産されたもので、鶏はブロイラーでなく、北摂地鶏と呼ばれるものである。聞けば山羊や烏骨鶏と一緒に飼育されている鶏だそうだ。
ヘカやライスだけではなく漬物も名物だ。夏場はキュウリ、冬場は大根。付け合わせとして提供されるが、別料金で追加オーダーすることもできる。イタリア戦線の日系兵士が作ったものをルーツとしており、ヘルメットのシェルで漬けていると言う。
最初はライスとヘカをそれぞれ交互に食べるが、半分くらい食べたら、残ったヘカにライスをぶち込む。浅いメスパンにヘカをなみなみ注ぐので、カウンターに溢れまくりだ。
しかし気にする必要はない。食べ終わって席を立った後、店主がWPG製ハックタオルで拭いてくれるからだ。
希望すれば生卵も出され、すき焼き風にして味の変化を楽しむこともできる。
現店主で二代目だそうだが、創業者の先代は、大戦米軍の再現グループで糧食を担当していたそうだ。
先代が本業の都合で副業ができなくなったため、一足先に定年退職した二代目がこの店を継いだという。
鶏肉はもちろん、ぶつ切りにされたタマネギにもしっかり味が染みているし、ほんのり感じられるブイヨンの風味もたまらない。
初回訪問時に裏メニューらしきコーヒーが気になったので、再訪した際、勇気を出してオーダーしたが、出てきたのはなんてことのない普通のインスタントコーヒーだった。
チキンヘカ専門店なんだからチキンヘカ以外は付録みたいものって気概の表れなのかと思って聞いてみたら「レーションについてくるコーヒーはこんなもんだ」ということであった。
なお、チキンヘカの持ち帰り販売もやっているが、容器が固定ベイルのM1ヘルメットのシェルで無いと受け付けてもらえない。前に可動ベイルを指摘され激昂した客にMPを呼ばれたこともあるそうだ。
現在は、容器込みの販売も行っているが、その容器はマレーのシェルになるため、容器が中身の数十倍となってしまうが、コアな客に受けているという。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 00:50Comments(0)

2021年12月21日

露営会参加記録7 徒手動作など教育 昼食 総括


昼食は、缶詰食品としては、豆の煮物(再加熱して配布)、コーン、果物シロップ漬け。またクラッカーと呼ばれる塩気のあるビスケットも、初日昼食に続いて再び配布された。
俺は糖質制限すべく、柳橋のなりきりステーキではサラダのコーンを抜き、ステーキの付け合わせのコーンも抜いている。今回もコーンを少なくしてくれと下士官に頼んだが、有無を言わさず盛られた。

話が前後するが昼食前に徒手教練動作とブランケットロール作成の体験指導が行われた。

「マニアは銃を持つと喜ぶが、教練は本来うんざりするものであるから、今回は銃を持たずに徒手を行なう」と言われ、整列しての列の整頓、停止時の方向変換、行進時の方向変換について指導された。
ブランケットロールは、背嚢下部に連結する規定通りのもの、ロール単体で持ち歩くようにアレンジされたものの二通りについて指導されたが、後者しか覚えていない。前者は紐(ガイライン)の収納時のまとめ方も教授を受けた。

昼食後は撤収して解散、イベント終了となった。

露営会の個人的な総括であるが、やはり衣食住に関する事項を優先的に対処しなければならない。
被服は規定のものかそれに準ずる機能のものを、状況に応じて規定の順序で着用しなければならない。アウターがインナーと合わせて機能を発揮する場合、アウターだけ着ても外見のみを整えたに過ぎず、不具合が生じる場合もある。
「被服をきちんときて栄養をとれば一晩くらいなら寒さで死にはしない」と言われたように、食は栄養確保に必要である。
また暗くなる前に就寝する環境もしくは就寝する準備を整えなければならない。
これら衣食住に関する事項を準備した後に、遊び的なものをすればよいのであり、遊びにかまけて必要な準備を後回しにしては、日没時間切れとなってしまう。
この項おわり。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 09:13Comments(0)

2021年12月18日

露営会参加記録6 朝食編

俺は起床した。
下士官は冬季戦闘服の上下を着ていた。この格好で寝たから暖かかったという。
「靴は脱いで、靴下を替えて寝た。
靴下は汗で湿気がある、靴を履くと逃げ場がなく
湿気が冷たくなって足が寒くなる。
寝る前に乾いた靴下に替えることで快適となる。」
と俺に告げた。

6時17分、露営会主催者が俺の前に現れた。
「深酒して2時に寝た、起きたら6時だった。
寒さを感じる暇すらなかった。寝たら一瞬で朝になった。大勝利」
と俺に自慢してきた。
しかし、その方はその後、日が昇るにつれ、体が温もるとともに嘔吐し、そのまま昼ごろまで眠りに入ったと聞いた。

朝食が支給された。
メニューはドライフルーツ入りシリアル
焼いたスパム、缶詰から出したアスパラである。
シリアルには牛乳がかけられていたが、これは本来はコンデンスミルクであり牛乳は代用だといわれた。またインスタントコーヒーを湯にとかしたものを飲んだ。ヘカの砂糖の残りがあると言われたが、糖質制限を意識してブラックで飲んだ。

後で日本軍参加者からスパムを食べたと言われたが、この時の余りが振る舞われたのだろうか?

朝食の後はブランケットや装具を干したりした。
天幕は湿っていたので、そのまま乾かした。


  

Posted by BCoガイドジャーナル at 13:58Comments(0)

2021年12月17日

露営会参加記録5 極寒の朝霧高原で地獄を見た

初日の稿を終える前に書き忘れていた事項がある。
スモールウォールの支柱が腐食気味で強度に不安があった。応急処置として、強化すべき箇所に廃棄予定の張り綱を巻く処置が行われ、俺はその作業を補佐した。まるで空手馬鹿三十六房に出てくる巻藁のようだった。
執銃動作の指導では、ハイポートの姿勢に加えてライトショルダーアームズ(担え銃)オーダーアームズ(立て銃)の指導と個癖矯正などを実施した。

俺は就寝用のテントに入り、毛布を被った。
他のメンバーの方が、装備の置き場を統制するのは非常に良い、暗闇でも掌握が可能だと感嘆している声が聞こえた。
そのメンバーが眼鏡を枕元のヘルメットに入れようとして、位置を誤って別のメンバーの方の顔面を直撃していた。やはり暗闇では完全な位置把握は難しいようだ。

宴席は一段落したはずなのに、相変わらず下士官のでかい声が聞こえる。「人は子孫を残すか歴史に名を残すか、ヒトラーは子孫を残さなかったが名を残した」とアホな話をしていた。

気がつくと静かになっていた。どうやら寝ていて時間が経過していたらしい。寒い、ここから朝まで寒さとの闘いである。
レインコートに毛布を敷いたためか、地面の冷気で体温を奪われることは今回はなかった。オーバーシューで足先も冷たくはなかった。しかし寒い。太ももや腹の脂肪が冷える。
「寒い寒い」俺は無意識に声を発した。
「あっちのテントでまだストーブ燃えてますよ」と誰かに言われた。しかし、俺は耐えることにした。
V字腹筋の姿勢をとり体を温めた。その姿勢を解除するとまた寒くなる。再びV字になる、解除する、を延々と繰り返しているうちに、意識が飛んだ感があった。
意識が戻るまで数分か数十分か、暗闇で時計が見えないので時間の経過がわからない。
二つに折り畳んで被っていた毛布の折り畳みを解除して面積を広げ、それにくるまると暖かくなった。しかし足が寒い、包み込みが甘いのか。そうこうするうちに、仰向けの姿勢が横向きになっていた。その間、意識が飛んで寝ていたようだ。
このように寒さに耐えながら、途切れ途切れに意識が飛ぶことを何度か繰り返しているうち、猛烈な尿意で目が覚めた。
放尿に行くべく、天幕を出た。宴席の前に確認したオリオン座が90度移動している。
星あかりに腕時計の文字盤をかざす。針は4時を示していた。あと1時間耐えれば朝か。
放尿後、俺はテントに戻り、また寝ようと試みた。

次に意識が戻った際、隣にいたメンバーの方がいない事に気づいた。ストーブのテントに人の気配がするので、そちらに移動したと推測した。そのうち、下士官も起床したようで、
「ランタンからガソリンが漏れ、誰かのキャンティーンカップをガソリンが直撃している」との会話が聞こえた。
俺も起床しようとテントを出た。時計を見ると5時だった。
寒中野営を遂行するという目的を達成し、俺は感動のフィナーレを迎えた。

  

Posted by BCoガイドジャーナル at 20:13Comments(0)

2021年12月15日

軍装露営会参加記録4 宴席から就寝まで

食事の後は、そのまま宴席である。
宴席で印象に残った話題は次の通り。
 タバコは致死率を下げる、肺をタールでコーティングして感染症から守る
 選抜制精鋭部隊は軍隊とは言えない、さまざまなレベルの人間の集合体こそ軍隊
 外人部隊は軍隊とは言えない、自身が帰属する共同体を守るのが軍隊
 できない人にはできる仕事を与え長所を伸ばし短所は他の人がカバーする、組織全体の能力を上げていくのが管理職の務め
  腕立て100回出来た人が10回しか出来なくなって初めて普通の人の気持ちがわかった
 舞台に立ちスポットを浴びると女にモテる、俺もまだまだいけると思った

宴席時は再現状況外であるので、この露営会の主体である日本軍装備の方々との交流も行われ、双方の天幕を行ったり来たりであった。

ある瞬間、俺はストーブで暖まりながら眠気を感じた。これはこのまま快適に寝れるのではないかと予感した。そして宴が一区切りついた際、就寝用のテントに移動した。

昼間、シェルターハーフを4枚繋いでテントを立てた際、敷物と装備の整頓についても指導を受けた。装備は暗闇でもわかるよう定位置をその場で下達され、その通りに置いた。
地面にはレインコートを敷き、その上に縦に二つ折りした毛布を敷いた。毛布の上に横臥してもよいし、くるまっても良いといわれた。さらにもう一枚の毛布も二つ折りにし、その上に敷いた。


  

Posted by BCoガイドジャーナル at 23:31Comments(0)

2021年12月13日

軍装露営会参加記録3 チキンヘカ

夕食にはチキンヘカを支給するという。字面を見たところ、「ちきんへちから」と読むと思っていたが、「ちきんへか」と発音するらしい。
チキンヘカとは、今回の部隊設定である第100大隊の兵士たちが、よく調理した料理であるという。鶏肉や野菜、砂糖を材料にして煮た鍋料理だそうだ。

私はチキンヘカを食ったことはない
本当のヘカを食っていない
誰の前でもひとりきりでも
砂糖を食ったりすることは無かったから
いつか露営会に参加する時
私の世界が変わる時
私食ったりするんじゃないかと感じてる
ヘカを食ったりするんじゃないかと感じてる

ナイフを持って烹炊場に来いと言われた。
ナイフフォークスプーンの三点セットは、いつも背嚢附属の食器入れに収納しているが、ナイフを実用するのは初めてである。
メスパンと呼ばれる皿型の食器を俎板がわりにして、ナイフでキャベツを切った。傍では、BCoメンバーの方が同様に玉葱を切っていた。
切っている途中、下士官が鍋を持ってきた。肉を入れろと言いつつ、入れる順序を俺に告げた。まずは骨つき肉を1パック6個分(1人当たり1個)入れた。次に骨なし肉を1パック入れた。さらに骨なし肉を半パック入れ、残りの肉は2回目の鍋にまわすと言われた。そしてキャベツと玉葱をぶち込み、砂糖を10本渡された。砂糖を五本分入れろといわれ入れたが、間違って包装紙まで入れてしまったので除去した。下士官がそのチキンヘカの鍋をバーナーにかけて加熱した。同時並行で米も炊爨しており、鍋の蓋はそちらで使用していので、ヘカの鍋にはトレイの様なもので蓋をした。

ストーブのある天幕でヘカと炊飯した米を食った。鍋が空いた後に、追加でまたヘカを調理したものを出していただいた。

日没後、俺はウインターコンバットジャケットとマフラーとニットキャップを身につけていたが、ストーブがある天幕では脱げと言われた。発汗による体の冷え、天幕から出た時の気温のギャップによる体の冷えなどで不具合が生じるという。ストーブのあるところでは薄着で体を温め、その体温を保持するために外に出たら厚着をして、そのまま就寝すれば良いと指導された。


  

Posted by BCoガイドジャーナル at 22:43Comments(0)

2021年12月13日

軍装露営会参加記録2 天幕の設営



スモールウォールは屋根部分に梁を当て、梁に支柱を突っ込み、支柱を立ててから位置を決めベグを打ち張り綱を張った。
一つの天幕の作業をあらかた終えてから、もう一つの天幕の張り綱を貼ろうとしたら、その前に綱をこの場で取り外し交換すると言われた。麻ヒモの様な綱と固定する自在木具が、よろしくないようで、紐とスパイラル状の自在金具に交換するとのことである。紐は市販品で当時のものに酷似したもの、自在金具は海外からの購入品であるという。取り外した綱と木具は薪ストーブの燃料となった、
天幕設営後は薪ストーブを設置した。本来は地中に穴を掘って設置するものらしく、地面に置くと煙突の高さが天幕の排気孔と合わないので、煙突の躯体のひとつを外して短縮、本体の下の地面を嵩上げして、位置を合わすという作業を下士官の指示のもとで実施した。
作業が一段落してから休憩となった。俺は体温の上昇や下降に合わせて衣類を着たり脱いだりした。防寒肌着を脱いだ際、認識票の短い方の鎖が吹っ飛んだ。落下した認識票は発見することができたが、鎖は紛失してしまった。

続いて昼食が配食された。市販の食材でテンインワンレーションを再現したものであるという。テンインワンレーションとは十人分を一組にして、加熱するだけで温食を支給できるようにした糧食であると理解している。
具体的なメニューは忘れたが、記録の意味で、他のメンバーの方が撮影した写真で確認したところ、豆とスープと桃と塩味のあるビスケットの類であった。

昼食後、個人天幕の設営指導があった。まずは下士官らがその日の晩に就寝する2枚張りの天幕を用いて、設営の手順の展示が行われた。
次いでわれわれが就寝する四枚張りの天幕について、実地の作業をしながら指導を受けた。
ペグを打つ位置が適正でなくやり直したり、打ち直す際にペグがなかなか抜けず無理やり抜くと折れてしまったり、石にぶつかり打てなかったり、入口を閉め忘れたままペグの位置を決めてしまったので閉じることができずにやり直したりと、試行錯誤しながら、手順を習得した。また次やるときは忘れているだろうが、一度経験しているから次回の憶えは多少はスムーズになるだろう。

その後、基本動作の指導として、銃の保持姿勢、いわゆる控え銃、ハイポートの練習、その姿勢での前進時の駆け足など、軽作業程度の演練が行われてた。

12月ということで日照時間が短いことに加え、山中であるためか、14時ごろで既に夕方の雰囲気となり、17時には完全に日没し星が光っていた。
  

Posted by BCoガイドジャーナル at 18:52Comments(0)

2021年12月13日

軍装露営会参加記録1 再び朝霧高原へ



2019年春のイタリアンフロント ベルベデーレ戦より20ヶ月が経過した。このタイミングで、再び同じ場所で野営する機会を得た。
ある人の主催により露営会が開催されることとなり、この露営会の場を活用し、BCoが「リエナクトメントを実施するにあたり必要な知識、経験を会得する為の訓練を実施」するという目的によって、野営を行うという。これに関する連絡が、イタフロで統裁官を務めた男から私宛に通知された。
連絡事項を確認したところ「想定時期:1944年2月 イタリア戦線 被服装備の設定:合衆国陸軍 第34歩兵師団第133歩兵連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊」とのことである。

その意図は、来るべき再現活動参加に向けた準備として、私のような経験の浅い者や未経験者を複数名集めて、被服装備の着用要領や簡単な動作や実務的な事項を教育し、再現に必要な兵士としての考え方を培うと言ったものであると想定された。
これらについては、教育されるがままに習得すれば問題ないと思ったが、私にとって最大の課題は、冬季の野営でいかに就寝し寒さを克服するかという一点に絞られた。

私は規定の装備を準備し、集合場所に集合し、現地に向かって移動した。
移動中、他のメンバーの方がセーターを着ていたのをみて、俺がセーターを忘れたことに気がついた。持ってくるのを忘れたこともあるが、米軍のセーターの存在自体を忘却していた。
俺としたことがとんだイージーミスだ。今夜の就寝が思いやられる、俺は朝からブルーな気分になった。

現地に到着後、規定の服装を身につけた。俺は脚絆を着けるときは蟹を食う時と同様に、無言で黙々と作業をする。BCoの下士官が、他のメンバーに脚絆装着の要領を指導する声がハイエースの向こう側から聞こえてきたが、下士官自身は脚絆を忘れてきたという。

着装を終えた後に、先ずは設営を行った。設営対象は、スモールウォールと呼称される天幕2棟である。1棟は烹炊場および状況外物品の置き場に、もう1棟はストーブを入れ、会合場所や宴席として使用するとの事であった。後者は、雨天時の教育場所や荒天時の緊急避難場所にも使用する事であろうと想定された。
  

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