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Posted by ミリタリーブログ at

2019年05月08日

エピローグその1 イベントを終えて



AARの際、米軍側の分隊長が次のように語った事が印象に残っています。
「セオリー通りに行う演習も基礎を培う上で大事だ。しかし、こうした対抗演習では、相手の意図を読み合うためセオリー通りにいかないこともあり、時には深読みしすぎて、意外な結果になることもある。これだから対抗演習は面白い」。

イベントの終了間際、私の直属上官である分隊長から、率直な感想を求められました。
私は思わず「しんどかった。こんなイベントはもう懲り懲りだ。分隊長と一緒にリエナクトをやるという約束は果たした。今後の付き合いは考えたい」と口走りました。
「そんな約束をした覚えはない」「俺はハイエースを買うことを決意した。住所を調べてハイエースで乗り付けてやる」と分隊長は激昂し、私の胸倉を掴みました。私の上衣のボタンを全て外した分隊長は私の胸元を弄った後、上衣についていた襟布用ボタンが安っぽいプラスチック製であることを指摘しました。
「良い角ボタンが入手できたら交換しようと思って、そのままにしていたのだが、とんだイージーミスだ。都内の軍装店で実物の樹脂ボタンか複製の紙ボタンを買って交換しておけば良かった」と私は思いました。

そして、イベントから一週間以上経過し、じわじわと充足感が沸き上がり、そして辛い記憶が薄れるに連れて、また分隊長に誘われば、10回に1回くらいは応じてみようと思い直すに至りました。次回までには、襟布ボタンとバンテージを買い換えておきます。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 23:52Comments(0)

2019年05月08日

AAR



続いてAAR (After Action Review)に移行し、米軍の集結地から攻撃ルート、独軍陣地まで、現地を見ながら振り返りを行いました。

米軍の集結地では、まず退避壕を見学しました。私は2フィート×2フィート×身長の大きさの1人用退避壕に目を奪われました。
効率よく穴を掘るには、まずこのようなシンプルな壕を掘ることを繰り返し演練しなければならないと実感しました。

続いて、米軍の歩哨用監視壕を見ました。岩を背景にして掘ったため、壕が浅くても空際線から上にシルエットが露呈しないのであると、米軍側の分隊長から説明がありました。独軍側が斜面に掘った壕についても、背景に稜線があるため同様の効果があると、米軍分隊長が講評しました。私は、以前に副分隊長から配布されたマニュアルに「兵士が空の背景となって見えるような空際線や、丘や稜線の最上部に位置することは避ける」と記載があったのを思い出しました。
「陣地構築は地形地物を上手く活用すること」とレクチャーされました。地形と地物の違いについて説明があったような気がしましたが忘れました。

私たちのMG壕については、統裁官から銃座をしっかり作ることという指摘を受けました。銃座を作りしっかりと据銃し、壕の縁に体重を加託して反動を受けるといった説明がありました。

AAR終了、壕の埋戻しや障害の撤去、昼食の受領、装具の手入れなどを行いイベント終了となりました。
  

Posted by BCoガイドジャーナル at 23:25Comments(0)

2019年05月08日

米軍側の動向

テント内の独軍参加者を前に、統裁部から次のような状況説明がありました。
米軍側は状況を継続し、夜間斥候を出しています。独軍の撤退を察知できなかった場合、さらに状況を継続し、もぬけの殻の独軍陣地に対し7時より攻撃を開始します。
一方、撤退を察知した場合は、そこで状況終了となります。そして新たに状況を仕切り直し、互いに配置に付くため、私たち独軍側も6時の時点で陣地に戻らなければなりません。
今さら戻る気にもなれず、撤退に気づかないでくれと願った独軍側参加者は、私だけではなかったはずです。
3時台だったか、米軍は斥候の結果、独軍の撤退を察知できず状況継続となることが統裁部から告げられました。米軍は朝の攻撃まで待機状況となるようです。そのことを告げた統裁部の人は、就寝のために米軍側の待避壕に向かうべく、私たちの前から姿を消しました。

後のAARで判明したのですが、陣地に多くの器材が残置されていたこと、動き回る懐中電灯の光が見えたことが、独軍側が撤退せず迎撃準備をしていると、米軍側斥候が判断した理由でした。
A地区右限界(独軍側から見て)付近の壕至近まで、米軍斥候が到達し、壕が無人であることを確認したようです。しかし残置物品が多く視認できたことから、独兵は撤退せずに後方の待避壕で仮眠していると判断し、なおかつ、その壕がMG陣地であると誤認したようです。
また独軍撤退完了予定時刻と米軍斥候出発時刻は同じ(0時だったような気がします)に統裁されたのですが、私の離脱が遅れたために撤退が遅れました。そして、私の様子を見に来た副分隊長が持つ懐中電灯の赤色光を見た米軍側斥候が、独軍は未だ陣地に展開中と判断したようです。また、副分隊長は米軍側斥候の接近を確認し、撤退行動を隠蔽し敵斥候を欺瞞するために、敢えて敵に赤色光を向けて存在を認識させる意図があったものと思われます。

四時ごろ、私は前日支給された朝食用の携行食を全て体内に入れました。前日に携行食を摂取したら眠くなったことを思い出したので、腹を満たして寝ようと思ったのです。そして地面に横たわり仮眠しました。壕にいた数時間前に比べれば、屋根があること、乾燥していることは、まるで天国でした。

明るくなってから起床しテントの外に出ました。7時から、米軍の突撃支援射撃の音が聞こえました。
払暁攻撃がセオリーのようですが、今回は、フィールドの地形状況を鑑み明るくなってからの行動に統制したようです。
余談ですが、私も以前、払暁攻撃に参加したことがあり、移動から展開までは暗闇の中ですが、白々と夜が明け始め敵の姿が視認できつつある頃に突撃発起が行われ、大変、理にかなったものであると思いました。

攻撃を終えた米軍が帰還し、独軍も集結し、統裁官からの言葉を聞いた後、記念撮影を行いました。

  

Posted by BCoガイドジャーナル at 22:18Comments(0)

2019年05月07日

状況離脱 後方へ

以降は私が状況を離脱してからの話になります。一方、米軍側は7時過ぎまで状況を継続しました。

私達は米軍の大テントに入り、待機する事になりました。
リエナクトメントグループBCo/100Bnでは、野戦状況の再現においても、体調や天候の急変に備えて、バックアップ拠点として大テントを設置します。
状況外なので現代テントでも構わないのですが、「状況を切っても40年代の雰囲気を味わってほしい」という思いから、当時のものを再現しているとのことでした。
当日はピラミダル、ラージウォール、スモールウォールの3棟が立つ予定でしたが、ペグかポールの不足により、前者2棟となりました。
ラージウォールは烹炊所として使用されていました。ピラミダルは中を見てないのでわかりませんが、おそらく統裁部として使用されたと推測しました。
統裁官によれば「四月末開催なのにこんなに寒くなるとは思わなかった、ストーブを用意すれば良かった」とのこと。

独軍側の後退理由は、設定上は前述したように主力後退に伴う遅滞行動任務完了ですが、現実的な理由は、後送者が相次ぎ、分隊としての行動に支障が生じること等であったようです。
統裁官は、19時前の降雨開始とともに、状況中断も視野に入れることを考え、状況の推移を見て、夜半に独軍側のみ状況打ち切りを決めたとのこと。独軍側参加者の多くが夜間状況の経験が無いことも考慮したようです。

ラージウォールテントに詰め込まれた独軍側の参加者を見た統裁官は「非常によい雰囲気だ」と言いました。気温低下かつ降雨を経た疲労感、状況を完遂できなかった悔しさ、状況離脱できてホッとした気持ち、それらが入り混じって、「まるで、リアルな捕虜の感があった」と統裁官は語ってくれました。
  

Posted by BCoガイドジャーナル at 21:02Comments(0)

2019年05月07日

雨降り止まず

わたしは捕虜移送という形で歩哨勤務を終えました。
分隊長の壕で待機を命じられましたが、視界ゼロの暗闇で、慣れない壕で足を滑らしたりするリスクを考え、壕に入らないことにして、敵から暴露しないように体を伏せました。
そのまま就寝した後、地面からの冷気で目が覚め、待機を続けました。
捕虜の後方への移送を終えた分隊長と副分隊長が戻ってきたので、私は副分隊長とともにMG壕に向かいました。
その時点で22時だった気がします。
壕に戻り、MG手と歩哨交代をしようと思ったところ、彼が体の不調を訴えていました。
副分隊長は再び分隊長のもとに報告に行き、何人かの移送要員がやってきて、MG手を後方に移送しました。
私は副分隊長に「2時間この壕に待機して、別命なければ0時から再び立哨する」と告げました。

雨は降り止まず、天幕の下に毛布をまとい、虚空を睨みながら時間が過ぎます。
23時30分頃、副分隊長が後退指示を伝えにきました。(もしかして、記憶違いで時間が間違っているかもしれません、しかし時系列は合っていると思います)。
後退理由は「連隊主力の後退が早く、遅滞行動という分隊の任務を達成したから」だったと思います。
速やかに装備をまとめ後退せよとの指示でしたが、私は準備に時間がかかってしまい、様子を見にきた副分隊長に連れられ、撤退しました。個人装具は掌握したものの、MG属品までは手が回らず残置しました。
分隊長の壕に到着した私は、MG壕からの離脱が遅れた事について、分隊長から叱責を受けました。
軍隊組織における時程は、当該する隊だけではなく、上部組織や他の隊の行動にも影響を及ぼすものなので、厳守しなければならないのです。

0時30分、有線電話で分隊長が本部に、撤退完了の連絡を入れ、私たちは状況から離脱しました。
(この時、電話を使用可能なまま残置していったので、翌朝のAARでは、電話を携行するか破壊して残置すべきと、指摘を受けました)。
この間、雨は止むことなく、しとしとと降り続けていました。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 20:41Comments(0)

2019年05月02日

お手柄 副分隊長

まもなく21時を迎えようとした時、立哨中の私は副分隊長の位置まで移動し、そろそろ交代の時刻であると伝えました。
しかし、副分隊長が発した言葉は「すぐそこに2人いる」とのことです。

私も気配を消し、しばらく静寂の時間が流れました。
副分隊長が、ヘンデホッホと叫ぶとともに、闇の中に人間2人のシルエットが浮かび上がりました。
次の瞬間、私は数メートルの距離を跳躍し、向かって右側の米兵のライフルを確保しました。

副分隊長が官職姓名を問うと、左側の米兵は所属部隊と新幹線の停車駅のような名前を名乗り、右の兵隊はGJと名乗りました。ここで何をしているのかと言う問いには「ジュネーブ条約では官職姓名以外を名乗る必要は無い」と言う返答でした。

暗闇の中、足場の悪さに苦労しながら2人分のライフルを抱えて稜線を越え、分隊長の壕まで捕虜を移送しました。
分隊長と副分隊長は、捕虜をさらに後方に移送するようです。私はその場で残留を命じられ、分隊長の壕で待機しました。

捕虜確保の瞬間に立ち会えたことが、私にとってこのイベントのクライマックスであり、このドラマチックな展開を経験して、今までの労苦が吹き飛ぶ思いでした。こうした機会を作ってくれた副分隊長に感謝するとともに、その働きには、全く頭が下がる思いです。

捕虜になったGJさんには状況が終わってから、私の気配が全く無く、急に目の前に現れたので、天幕でも被っていたのかと言われました。確かに天幕を身につけて、肩のシルエットはボカしていましたが、ヘルメットのシルエットはボカしていなかったので、やはり姿勢を低くしていたことで、気配を消せたのだと思います。
状況終了後のAAR (After Action Review) で統裁官から歩哨の要点を教わったのですが、昼間は高所から低所を見下ろすように、夜間は低所から高所を見上げるようにと言うことでしたので、低い姿勢は理に適ったものなのかもしれません。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 20:30Comments(0)

2019年05月02日

夜間立哨 鉄条網を守れ

19時過ぎ、歩哨を下番したMG手に起こされ、私は目を覚ましました。いよいよ2時間スパンの夜間立哨です。
暗闇と靄で視界がほとんどない中、木の陰に立哨します。雨音、木の葉が落ちる音以外は静寂のまま、時間が流れます。
何らかの物体が近づいてきて、ある程度の距離で人間だと認識できたので合言葉を投げると味方の兵だと確認できました。「時間がわからないので、立哨下番の時に自分にも声をかけてほしい」と、その男は私に依頼しました。
視界ゼロで、その時は誰だかわからなかったのですが、後で副分隊長だと判明しました。

20時半を経過したころだったか、21時を過ぎていたのか記憶が曖昧ですが、味方が敵兵を誰何する声に続いて、槓桿を引く音、そして発砲音が響き渡りました。
その瞬間、私は、雨が止み前方が明るくなった気がしたのです。実際には雨が止んだわけでも明かりがついたわけでもなかったんですが、極度に意識が集中したため、そう感じたようです。

再び副分隊長が私の元にやってきて、鉄条網の警戒を密にするように告げました。私は、鉄条網に張り付き、視界が悪いので、音や気配で敵の動向を察知するよう、意識を集中しました。

稜線の向こうのA地区方向からも、敵兵を誰何する声が聞こえました。

私の前の鉄条網に、敵が取り付くことは確認できなかったのですが、その向こう側に何度か人の気配を感じました。しかし視界の悪さもあって目視では確認できておらず、その気配は、この付近にいる副分隊長かもしれないし、雨が落ち葉に当たる音かもしれないと思っていました。また、闇雲に誰何して自分の位置を露呈すれば、殺害または拉致される恐れがあるから、敵が鉄条網に確実に取り付いたら対処しよう、もしくは、鉄条網の切断が確認できたら修復し分隊長に報告しようと考えました。
苦労して敷設した鉄条網は、まるで手塩にかけて育てた我が子のようなものだ、私が守り抜かねばならぬという使命感で、監視に集中しました。
折を見て、何度か鉄条網を点検したのですが、私が見た範囲では切断などの敵の痕跡は確認できませんでした。

副分隊長が三たび私の前に姿を見せました。
「先程、敵兵2名とすれ違った。後方から来たので、味方の交代要員かと思って合言葉を投げたところ、向こうも誰何してきた。突然のことで、そのまま行き違った」とのこと。
とりあえず鉄条網に異常がないことを報告し、21時になれば知らせるから、まず副分隊長が戻り、交代要員が来ることを見計らって、10分程度の時間差で私も戻ると告げました。
「あそこの木の根元にいる」と彼は告げて、私の前から去りました。
敵の斥候が、付近を徘徊しているのは明らかです。しかし鉄条網には手をつけず、彼らは何を目的にしているのか疑問でした(単に道に迷っただけと、後で判明しました)。


  

Posted by BCoガイドジャーナル at 14:17Comments(0)

2019年05月02日

立哨勤務 そぼ降る雨

16時過ぎ、MG手と私は壕の中で待機しています。壕の後ろで、分隊長と副分隊長が何か打ち合わせをしています。歩哨勤務のローテーション等について話し合っているようです。私は自分の勤務が気になったので、振り返ったところ、前を見て警戒せよと分隊長から叱責を受けました。
分隊長が去った後、副分隊長から説明を受けます。どうやら後送者が出たらしく、副分隊長がそちらのフォローに回らなければならなくなったので、当初三人で回すはず予定だったローテーションを私とMG手の二人でこなすことになりました。
昼間歩哨は1時間、夜間歩哨は2時間です。まだ17時前ですが、私は一番立ちで立哨し、18時からMG手、夜間となる19時から21時は私、21時から23時まではMG手…というローテを組みました。夕食許可は19時からですが、私は立哨するので副分隊長の許可を得て19時までに喫食することにしました。

B地区の左限界の斜面の中腹に立哨しました。右限界には他の班の歩哨の姿も見えます。左限界から右限界へ、手前から奥へ、視線を走らせます。時間が経過するのが遅く、腕時計が故障したのかと思ったくらいです。
1時間の勤務を終え、壕に戻り仮眠中のMG手を起こし、ライフルと腕時計を渡し、19時まで立哨するように告げました。彼を立哨場所まで案内した後、私は壕に帰り、先ほど支給された携行食を取り出して喫食しました。
小麦粉と砂糖を練って液状化したものを焼きあげることで固形化したビスケットを、口の中で噛み砕き唾液を混ぜることで再び液状化させます。腹に物が入ると眠気が来たので、天幕を被り横になりました。
すると、ポツポツ雨が降ってくるではありませんか。毛布を出すかと思いましたが、濡らすのが嫌で、途切れ途切れの意識の中で、ああ雨だから皆大変だわなと思いながらも、眠気が勝って降雨の件はなぜか人ごとのような気がしながら、意識が遠のきました。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 07:43Comments(0)

2019年05月02日

防御陣地の構築

私たち分隊員は、集結地で又銃を組み装備を解き、分隊長に引率され、防御陣地構築に先立って地形等の説明を受けました。

私は概ね下記の通り理解しました。
敵方向に向かって右がA、稜線を挟んで左がB。Aには隘路が二本でそれぞれアルファ、ブラボー。Bは両側の稜線に挟まれた開平地。敵の予想される進路は、アルファ路、ブラボー路、B開平地。
このうち、敵の主攻は開平地を通ることが予想されるので、これに対しMGを据えるとのことでした。

各人が持ち場の指示を受け、陣地構築が開始されました。
私は、副分隊長とMG手とともに、三人が入る壕を構築することになり、まずはシャベルで地面を掘る作業にかかりました。
途中、飲料水を受領するよう指示を受けました。集結地に残置された全員分の水筒を集め、もう一人の分隊員とともに後方に下がりました。そこで水缶からカップを用いて各自の水筒に水を入れるという作業を二人で協力して実施しました。そこにあった麻袋に5個ずつ水筒を入れて携行し、集結地に戻って水筒を置いた後、私一人で麻袋を返納に行きました。

その後、自分の壕に戻り、副分隊長とMG手に水でも飲んで休むように告げ、地面を掘り下げる作業を交代しました。
バウムクーヘンの薄皮を一枚ずつ剥ぐように、少しずつレベルを下げるという作業を無心に続けていきます。掘削が進み、労働の成果が目に見えると、達成感で心が満たされます。
腐植土のような土壌をある程度掘ると、次は粘土層が出現しました。行きの灰エース(灰色のハイエース)で一緒だった米軍参加の方が、この地域は水捌けが悪いと言ってましたが、この粘土層が原因かと思いました。
副分隊長やMG手も戻ってきて、交代で適宜休息しながら作業を続行しました。

そのうち、昼食を配布するといわれ、交代で集結地に戻りました。そこにはフードコンテナがあり、各自、コンテナからレートルのようなもので飯盒にライスを盛り付けました。
そのライスは、チキンライスからチキンやグリーンピースを除去したようなもので、赤く着色されてました。ああ、こないだのトマトペーストはこれに使われたのか、疲労した体に塩味が効くなあと思いながら食しました。
続いて、夕食および朝食分のビスケットと魚の缶詰を受領し、作業にもどりました。
壕を掘る際に出た残土の黒土が目立つと分隊長から指摘を受け、落葉等を表面に配置し周囲に馴染むようにしました。
引き続いて副分隊長や他の分隊員と障害の設置を行いました。開平地に鉄条網を配置し、敵の足を止めてMGの射線で捉えるためです。

作業を終えMG壕に戻ったのが15時ごろです。

装具等を全て掌握し、鉄帽に泥を塗り、MGを据え、戦闘準備を整えました。
壕内で待機しつつ仮眠をとったのですが寒さで目が覚め、汗で濡れたヘムトを着替え、防寒衣料を身につけました。

  

Posted by BCoガイドジャーナル at 06:40Comments(0)

2019年05月02日

実録 これがイタリアンフロント1944だ



未明に現着。灰エースのワックスがけをしていると、分隊長からラインが来ました。
「カーナビで到着となったものの、入口がわからん。今コンビニにいる」
「道なりにすすみ、ガソリンスタンドの脇を入ればゲート」と返信したものの、分隊長の空間認識能力の欠如に不安を感じ、ガソリンスタンドの前に誘導に立ちました。
寒空の下、13分ほど待機していると、見慣れたアルファロメオがやってきましたので、ゲート前に誘導。
「集合時間の6時まで、仮眠するなど待機願います」と告げ、ソフト99の泡でアルファロメオを磨きました。
開場後、ポマード缶を持って出頭し、分隊長の頭に塗りたくろうとしたところ、既にご自身でポマードを用意されており、見たところ、今や通販でしか入手できないヤナギヤの微香性ポマードでした。
さすがは分隊長、ポマードの香料に頼らず男のフェロモンで勝負しているのか、と香料の強いロイヤルクラウンポマードで加齢臭を誤魔化している私としては恥じ入るばかりでした。
そして、私のザイデンハーケンの付け方が違うのではないかという指摘を分隊長から受けました。以前から角度が妙な感じだとは思っていたが、なるほど付け方が違ってたのかと、私は上着を脱いで付け直しました。

装備を整え、分隊員が集合します。
分隊長は、現地を視察し地形を理解した上で防御陣地の配置を行うため、一足早く現場に入ります。
その間、私たちは副分隊長の指導を受け、各自の装具の点検などを行いました。
私はMG助手でしたので、弾薬缶や予備銃身ケースを携行することとなりました。
引き続いて、副分隊長から、外套の梱包、いわゆるマンテルロールの作り方について実演指導を受けました。確か、肩のタブを外し、背割れのボタンを留め、腰ポケットのフラップを内側に折り込み、袖をリバースし、縦を折り横を折り、三人がかりで押さえ込んで、巻き込んで行き、U字型にするというもので、私もその動作を経験しました。
分隊長が戻りましたので、状況に入るため、分隊は防御陣地構築予定地に向かって出発しました。
私は出発地点に残留し、分隊員が一名、使役に出ていましたので、その方が戻るのを待って、二人で分隊を追いかけ、現地で合流しました。  

Posted by BCoガイドジャーナル at 05:43Comments(0)